こんにちは!takochiです♪
今年も夏の甲子園大会が始まりました。猛暑の中、選手たちの熱い戦いに目が離せません!
令和初の、夏の大会で優勝旗を手にするのは、どこのチームなのでしょう!?
今回は、2019年のセンバツではベスト4という快挙を成し遂げ、夏は昨年に続き2年連続2 度目の甲子園出場を果たした、明石商業高校野球部の狭間善徳監督について
- 経歴
- 実績
- プロフィール
- 指導方法
をまとめてみました!
明石商業高校野球部の狭間善徳監督のプロフィール
狭間 善徳(はざま よしのり)
生年月日:1964年5月12日
年齢:55歳(2019年8月時点)
出身地:兵庫県明石市
出身高校:明石東高校
出身大学:日本体育大学
明石商業高校野球部の狭間善徳監督の経歴と実績
明石市立望海中学校から兵庫県立明石南高等学校に進み、日本体育大学で内野手として活躍。
保健体育の教職を取得し、母校の明石南高校や高砂南高校でコーチをした後、明徳義塾高(高知)のコーチを経て、半年後に監督に就任。
1993年から明徳義塾中の監督に就き、全国大会で4度の優勝をしています。
実は明石市は2005年、全国初の市の職員として「野球指導者の公募」を実施しました。
これは、「野球を通じて学校の質を上げ、甲子園に出場してまちの活性化につなげる」
そんな理念の元、実施された計画でした。。
簡単に言うと「野球で町おこし」をしよう!ということですね^^
もともと明石市は野球熱が高い土地柄で、1987年に古豪・明石高校が春夏連続出場したこともありましたが、その後地元勢は甲子園から遠ざかっていました。
そして、その計画のターゲットに選ばれたのが市内唯一の市立高校明石商業だったのです。
応募条件は「44歳以上、中学野球以上で5年以上の監督経験」
この応募に何百人という受験者(社会人の監督も含め)が殺到した中、明徳義塾中学での6年間に「4回の全国制覇」の実績と、地元明石の出身者であることも起因して狭間善徳監督が選ばれ、2006年から明石商業高校でコーチを努めたのち、翌2007年監督に就任しました。
地元から完全バックアップを受けている明石商業高校、そして狭間監督なのですね!
明石商業高校野球部の狭間善徳監督の指導方法
狭間監督は指導者としての信条を聞かれ、
『目標を高く設定し、選手と一緒にとことんやる。毎日しんどい思いをしてこそ、人の痛みに気付くようになり、結果が出れば、やってきてよかったという感動や喜びが生まれる。それらのことを野球を通して学んでほしい。指導者によって子どもの人生が変わるかもしれない。その責任を自覚している。』と話します。
引用 https://mainichi.jp/koshien/articles/20190202/ddl/k28/050/353000c
そして「野球は確率のスポーツ」とも言います。
チームが勝つために、ありとあらゆるデータを駆使してチームメンバーを構成し、データ管理をするだけでなく、生徒に「データの重要性」や「理想の野球を再現するための体の使い方&練習方法」「日常生活のあり方」「礼儀」など多くのことを指導しています。
高校生を教える期間は実質的に2年ほどしかありません。
その中で、いかにして勝つ確率を上げるかを常に考え、そのために優先順位を守備、走塁、打撃の順に付けて教えています。
狭間監督は守備はノックを受けた分だけ上達する。打撃より計算できる。と話します。
徹底したデータ管理と、確固たる信条。そして地元の完全バックアップ!
今後もどんどん強くなりそうで、目が離せません!
まとめ
今回は、2年連続2 度目の甲子園出場を果たした明石商業高校野球部の狭間善徳監督について、経歴や実績、指導方法をまとめてみました。
狭間監督は1964年5月12日生まれの55歳。
日本体育大学で内野手として活躍。
保健体育の教職を取得し、母校の明石南高校や高砂南高校でコーチをした後、明徳義塾高(高知)のコーチを経て、半年後に監督に就任。
1993年から明徳義塾中の監督に就き、全国大会で4度の優勝をしています。
明石市の「明石商業高校野球部監督公募」がきっかけで同校の野球部監督となりました。
選手には「データの重要性」や「理想の野球を再現するための体の使い方&練習方法」「日常生活のあり方」「礼儀」など多くのことを指導しています。
徹底したデータ管理と、確固たる信条。そして地元の完全バックアップ!
今後もどんどん強くなりそうで、目が離せません!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。